無計画計画

手品をやってる人のブログ。

「~しなければならない」と「常識」について

こんにちは。

今日のは、単なるぼやき記事です。



●「しなければならない」について

「~しなければ、ならない」

この言葉が私はどうも苦手です。

世の中に、「しなければ、ならないこと」は、私は存在しないと思っています。

(勿論、日本国憲法で定められた国民の義務とかは除外しますヨ。)


「礼儀正しくしなければならない」
「男は・女は~しなければならない」
「目標は持たなければならない」


別に、法律で決まってるわけでもないけれど、

人が「~しなければならない」と思えるようなことは世の中たくさんあります。

それらのことは、スムーズに日常生活を送ったり、スムーズに事を進めるためには、確かに大切です。

けれど、それらのことは、人々のそれまでの常識から成り立っているだけで、本来、絶対的なものではないはずです。

「しなければならない」と考えてしまうようなことは、
本来は「しなくてもいいこと」のはずです。



「しなければならない」と思考を一本化するのではなく、

「したほうがいい」、「しなくてもいい」など、思考に幅を持たすことが大事だと自分は思っています。


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●常識について

「しなければならない」を作るのは、常識です。

では、常識とは、一体誰が作ったのかというと、今まで生きてきた人々に他なりません。

過去の人間が、社会の中で生きやすくするために、何となく共有してきたルールが、常識です。

ということは、当然社会が変われば、常識も変わります。

常識は普遍的なものではなく、変動的なものといえます。



常識がうつろうものである以上、

本来はすべからく疑うべき対象となりえますが、

全てを否定して、一から考えることはなかなか困難な作業でもあります。

常識に従うことは、頭を使わなくても済むので、とても楽チンです。

社会のコミュニティの中で、和を乱すことなく、過ごせます。

けれど、そこに慣れきってしまった時には、ある問題も生じます。

それは、自分の個性が「標準化」して、ならされるということ。

例えると、でこぼこ道が、舗装された道になるのと同じです。
便利だけど、同じ景色。

まあ便利なんだけどねー。
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常識に対して自分が違和感を覚えたのなら、それはチャンスです。

何故自分が違和感を覚えるのか、考えてみる時です。

答えがその時に出るか出ないかは重要ではないです。

常識(一般ルール)を知った上で、そこから脱却して、再構築をする。


常識は、常に自分の目の前に存在しているものですが、

人は生きていく上で、それを加筆修正して、自分の常識を作り上げていく必要があると思っています。

少なくとも、自分はその作業を大切にしていきたいと考えています。



駄文をだらだらと書いてしまいましたが、本日はこれにて。